私は子供の頃から知りたいものは山ほどあったが、いわゆる学校の勉強は好きではなかった。だからいつも沈香も焚かず屁もひらず、と言う状態だった。それでも余り焦った記憶はない。なぜなら、勉強ができると言うことは、運動が得意であること、美人に生まれることと同様、生まれつきのものだと思っていたからである。勉強して成績がよくなることなど馬鹿らしい、…
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2010-5-16日曜日吉江俊夫伯父の思い出 その3 伯父のことは、それほど知っている訳ではないので多くを語ることができないのが残念である。そのため伯父に関係のある人々の話になってしまう。伯父の妻の父親は正木不如丘(俊二)であったが、この人物が有名だったらしいと聞いていた私は、若者に特有の反発を覚え、敢てその人を知ろうとしなかった。従…
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2010年3月22日(月)吉江俊夫伯父の思い出 その2 新二伯父と私は硝子戸の多い建物に入る。受付には俊夫伯父の長男、次男である従兄弟達がいた。長男のHさんと三男のAさんには数十年ぶりに会う。私がまだ中学生だった頃会って以来である。待合室には会葬者たちが徐々に集まって来ていた。ここで私は俊夫伯父の妻である伯母に、Hさん同様に数十年ぶ…
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2010年3月20日土曜日吉江俊夫伯父の思い出 その1 今週の水曜日三月十七日、昼は暖かいだろうと油断し、薄いコートも職場に置いたまま外出した。京王井の頭線で西永福へ行った。しかし、背広だけだったのは大変な誤算だった。空気が冷たいだけでなく、風までおまけで吹いていたからであった。なんやかやで結局一時間近く風の吹く外にいた私は、すっかり…
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私の高校二年生の時の思い出を書いておきたい。中学校を卒業すると、私は初めての受験なるものを経験して都立高校へ進んだ。同じ組に同じ中学校出身のM君がいた。中学校時代かれはスポーツのできる不良少年で鳴らしていた。中肉中背であるが、相当に立派な体をしているらしかった。彼より遥かに身長の高かったO君などよりも喧嘩は強かったようである。彼と…
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